Message 先輩メッセージ

障がいの有無に関係なく自分の感性を大事に、
仕事に責任を持つこと

岩堀 滋/ IWAHORI SHIGERU

所属部署さいたま総局

入社年 / 専攻1993年入社 / 教育学部 教育学科卒

障がいと記者の仕事について
当事者として日々ニュースを発信

持ち場である埼玉県内のニュースを日々発信することに加え、自らの問題意識(ライフワークでもある筋電義手関連などの取材)で県外にも取材に行きます。私は先天性右前腕欠損で、初めは記者職など到底出来ないと思っていましたが、工夫しながらやっています。問題意識を持って日々ニュースを発信する仕事は、やはり醍醐味があります。

印象に残っている仕事
「GLOBE」や「プロメテウスの罠」、執筆記事に大きな反響が

自らの経験を踏まえて提案した「義肢装具」企画が通り、別刷り(当時)の「GLOBE」に書けることになって、ドイツなど海外取材が出来たことです。ついでに自分も、取材過程で自作した筋電義手を装着し、表紙に登場したというオチまであります(笑)。

特別報道部時代に原発事故後の福島・浜通りを取材した「プロメテウスの罠」取材班で、自分の記事への反響の大きさにも驚きました。失敗はたくさん。新人記者時代にせっかく取材で撮影したフィルムを現像中にだめにしてしまったとか。取材したのに、忙しさに追われて執筆できず、タイミングを失って執筆出来なかったこともあります。

これから
義手をテーマに社会に貢献

朝日新聞社は、なんでもチャレンジさせてくれる会社です。上司に指図されたことは皆無です。自分の感性を大事に、仕事に責任を持つ自覚も生まれます。記者の仕事をする上で、これは障がいの有無に関係なく、これは大事なことだと思います。

義手をテーマにした取材と執筆は、私のライフワークです。神奈川で病院の外来も設定していただけました。義手はまだマイナーな分野なので、NPOなり起業なり、なにか形になる社会貢献ができればいいなあなどと、おぼろげに考えています。

MY CAREER HISTORY私のキャリアヒストリー

1993 / 04

入社 出版局 [1年目]

 雑誌や書籍にする原稿を預かり、印刷会社との交渉や定価設定などの営業管理をする仕事でした。

1997 / 04

福島県のいわき支局(新聞記者に転身) [5年目]

 上司らの薦めで記者に。街ダネと事件、司法を担当し、記者の基礎力を身につけました。

2000 / 04

千葉県京葉支局 [8年目]

 東京湾の埋め立て問題で本紙1面や社会面アタマに載る経験。やりがいを感じました。

2003 / 09

愛知県春日井支局 [11年目]

 自衛隊イラク派遣の最前線基地・愛知県の空自小牧基地取材に明け暮れた。記者人生で最もしんどかった。

2007 / 04

一度目の横浜総局 [15年目]

 家庭の事情で首都圏へ。4年の在任中に政権交代があり、行政・政治取材の醍醐味を得ました。

2012 / 04

特別報道部 [20年目]

 原発事故後の日本を取材する「プロメテウスの罠」取材班に。深く掘り下げる取材に開眼しました。

2015 / 09

二度目の横浜総局 [23年目]

 神奈川県政クラブに所属して県政全般を取材。4年半のうち後半は総局のまとめ役。

相模原支局長 [28年目]

 

入社動機

学生時代からマスコミ、特に文章に関わる仕事への希望が強かった。出版社志望でしたが、新聞社でも出版部門があると知り、朝日新聞社を受けることにしました。最初に採用が決まったのが朝日新聞社でした。

オフの過ごし方

趣味は学生時代から続けている楽器演奏(ドラム)です。今もバンドを組んでいて、不定期ながらライブもやっています。ただ、年々運動不足になっていて、楽器演奏にも響くので、まずはウオーキングでも始めないといけないと、自分に言い聞かせています。

みなさんへのメッセージ

問題意識を持つ若手社員が力を伸ばせる場として、朝日新聞社はとても居心地がいい会社だと思います。押しつけもなく、活躍の場はたくさん開かれています。新聞社は多種多様な職種がありますが、各種スキルを身につける意味でも朝日新聞社は最適だと思います。自分次第で、障がいのことはまさにどうにでも切り開ける会社だと私は実感しています。ぜひ我々の仲間になって、自分を試してみませんか?

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