先輩の声

伝説の部員

朝日新聞社の伝説をつくる社員たち

朝日新聞社には数々の伝説があります。朝日新聞の代名詞ともいえる「天声人語」欄は1904年に誕生し、当時の文芸欄の連載や編集、校正は二葉亭四迷や夏目漱石、石川啄木ら名だたる文学者が担当。ロッキ-ド事件をはじめとする数々のスクープで事件を暴いたかと思えば、夏の甲子園や世界的美術品の展覧会を企画・運営。技術面でも、国内の新聞社初となる活字鋳造や輪転機の導入、コンピューターによる新聞製作システムなどの技術革新も行う・・・。まさに、伝説だらけの朝日新聞社。そんな伝説とそれをつくりだす社員たちをご紹介しましょう。

01 伝説の記者 調査報道の伝統

ジャーナリズムの神髄「調査報道」で事実を明るみに出し、社会を動かす

「調査報道」とは何か? 「あえて定義づければ、当局に依拠しないで報道機関の責任で独自に調査・取材し、権力悪を追及することである」。こう述べたのは日本の「調査報道」の第一人者といわれる、元朝日新聞記者・山本博です。

東京社会部時代に談合キャンペーンなどで特報を重ねた山本は、1988年、横浜・川崎支局の若い記者たちを指揮し、「リクルート事件」の発端となる川崎市助役への贈賄疑惑をスクープしました。捜査当局がいったんは事件の立件を断念していたこの疑惑を、諦めることなく「独自取材でもう少し詰めたい」と専従取材班をつくって地道で粘り強い調査を継続。「記事に、ひとつの事実の誤りがあっても、調査報道は成りたたない」と、事実の積み上げによって疑惑を裏付け、朝刊の社会面トップでそれを報じたのです。その後、この疑惑は中央政界に拡大し、政治家や官僚らが次々と逮捕され、戦後最大級といわれる贈収賄事件に発展しました。

社会的影響、意義の大きい調査報道。しかし、「発表されていない事実」ゆえに、調査には、時間も手間もかかる上、徒労に終わる可能性もあります。朝日新聞社では、こうした「知られていない事実」を自らの力で掘り起こし、自社の責任において発表する「調査報道」に注力すべく、2006年に調査報道を専門的に行う取材チームを発足させました。

ジャーナリズムの神髄ともいえる「調査報道」の手法は、朝日新聞社の中に根付いており、2010年には大阪社会部が「大阪地検特捜部検事による押収資料改ざん事件」をスクープ。2013年1月には特別報道部取材班が「手抜き除染」を特報しました。朝日新聞社の記者4人が計130時間、除染作業現場に張り込み、決定的な"手抜き"場面を、写真と動画で撮影して、証拠を紙面とデジタル版で突きつけました。この特報は「政府が復興の柱と位置づける公共事業の実態と、本来の在り方を社会に問いかけた優れた調査報道」と評価され、2013年度新聞協会賞を受賞しました。

記者の地道な取材活動がスクープとなり、社会を動かす ―― それが朝日新聞社の神髄です。

02 伝説のイベント

ルーブル美術館所蔵の美の女神「ミロのビーナス」初の海外公開を実現

朝日新聞社が様々な展覧会や美術展を企画・主催し、長きにわたって文化活動の一翼を担っていることをご存じでしたでしょうか? プロデューサーとして、あるいはキュレイターとなって、世界的名作の誘致や価値ある美術品の再発見などを手掛けているのです。最近では2012年7月の「マウリッツハイス美術館展」。フェルメールのかの名作「真珠の耳飾りの少女」を一目見ようと、約117万人が来場しました。

ミロのビーナス展に際してつくられた複製品。現在、東京本社のロビーに展示されている。

過去を遡ると、朝日新聞社が世界中をあっと驚かせた展覧会がいくつもあります。そのひとつが、東京オリンピック開催直前の1964年4月8日より公開された「ミロのビーナス特別展示」です。この美の女神がフランス国外へ「旅に出た」のはこれが最初で最後。当時の池田勇人首相も「日仏両国の文化交流と親善の歴史の上に大きな成果」と祝辞を述べています。

しかし、この世界的に有名な作品の貸し出しをフランス政府に承諾してもらうことは、容易ではありませんでした。その交渉の前線に立ったのは朝日新聞社・企画総務の衣奈(えな)多喜男。「世界最高の美神とオリンピック、人間理想のふたつのシンボルの組合せは、文化交流史のすばらしい記念碑になる。人々をあっといわせたい」。

日本政府の支持を得てフランスの文化次官や駐仏日本大使らに協力を仰ぎ、最後はフランスのマルロー文化相と会談。了承を得て、ようやく開催にこぎ着けたのです。

この特別展示は、東京の国立西洋美術館、京都市美術館で開催され、連日長蛇の列となり入場者数は約172万人。現在、戦後開催の美術展で第2位の記録となっています。

<戦後の美術展 来場者数ランキング>

  • 1位「ツタンカーメン展」(1965年)・・・約293万人
  • 2位「ミロのビーナス展」(1964年)・・・約172万人
  • 3位「国宝 阿修羅展」(2009年)・・・約166万人

※いずれも朝日新聞社主催

03 伝説のシステム

朝日新聞社の「複合メディア戦略」を担うATOMシステムを構築

今や、IT技術なくして企業経営は成り立たないほど、その技術が果たす役割は大きくなっています。朝日新聞社は1960年代からコンピューターに注目し、アポロ月面着陸を手掛けたIBMと共同で「電算機による新聞製作システム『NELSON』」の開発に着手。完成した1985年以降、このシステムで紙面を作成してきました。しかし、IT技術は日進月歩。メディア業界の変化や経営要請に柔軟に対応し、スリムで強靭な企業体質作りを支えるIT基盤を目指し、新たなシステム(ATOM=sahi Total System of ultimedia)の構築がスタートしました。

ATOMシステム全体概念図

ATOM開発プロジェクトの企画立案は1999年10月。「更地に家を建て替える」方針に沿って、何が必要なのか、採用する技術やシステム構成だけでなく、新しい業務フローをどうするかなども含め、全社一丸となってプロジェクトが進められました。その構築範囲は大きく4つ。①新聞を基幹とした総合情報発信基盤となる複合メディアシステム(ATOMニュース)、②経理や人事、営業など社内業務を支え全社員の情報共有基盤となる経営営業系システム(同ビジネス)、③通信インフラと認証環境を提供するネットワーク(同ネット)、④全システムの安定運行を支える統合管理(同オペラ)です。

構築作業では、22社以上のベンダーに協力を要請。一部の構築パートナーから「クレイジー」と評されるほどの超マルチベンダー方式で、全システムを一斉構築しました。

運用風景

こうして企画立案開始から6年半、構築開始から5年を経た2006年6月、すべてのシステムがATOMに切り替わり、プロジェクトが完了しました。中でも困難が予想された「ATOMニュース」を担当したのが、システムセクションサブマネージャー(当時)の三上完治。「完成までにはいくつも乗り越えなければならない壁がありましたが、ほぼ計画通りに実現することができた。これは全社体勢で一丸となって構築できたことが大きい」。

これらの成果が評価され、ATOMシステムは2006年度新聞協会賞の技術部門を受賞。2011年にはそれを受け継ぎ、約600台ものサーバを仮想化・集約する「次世代ATOMプロジェクト」が始動するなど、今なお技術革新は続いています。