Message 先輩メッセージ

現在の仕事
時間と戦いながら最後の編集者として、赤鉛筆を走らせる

 記者が書いた原稿を読み込み、その中に誤りが潜んでいないか点検するのが校閲センターの仕事です。一口に誤りと言っても、カバーする範囲はさまざま。単純な誤字脱字の他にも、事実関係が間違っていないか、日本語として正しい言い回しになっているか、差別的な表現になっていないか、などを意識しながら赤鉛筆を走らせます。

 新聞社の校閲は時間との勝負。日々、リアルタイムで起こる事件・事故に対し、現場の記者たちは最後まで詰めの取材を行っています。締め切り時間ぎりぎりに原稿が飛び込んでくることも珍しくありません。限られた時間の中で、正しく、かつ分かりやすい紙面を作り上げる。難しい作業ではありますが、その分だけゴールにたどり着いたときの達成感は格別です。

印象に残っている言葉
校閲は「最後のとりで」。その使命を痛感

 入社して半年ほど過ぎたころ、初めて「訂正」を出しました。ある人物の名前を見出しに取った際、変換ミスに気付かなかったのですが、ちょうど仕事に慣れ出した頃で、気の緩みがあったのかもしれません。落ち込む私を飲みに連れ出してくれた先輩から「これから同じミスを繰り返さないようにすればいい」と言われ、ずいぶん救われたことをよく覚えています。

 校閲記者が誤りを見逃せば、間違った紙面が世に出ることになります。校閲が「最後のとりで」と言われるゆえんです。新聞には正しい情報が載っているという「当たり前」を毎日続けることがどれだけ大変なことか、日々痛感しています。

これから
東京五輪・パラリンピックで選手の活躍を伝えたい

 新聞社では、五輪や国政選挙、高校野球など大きなイベント時に各部署で専従チームを設けて取り組むのですが、2020年の東京五輪・パラリンピックのチームにはぜひとも加わりたいと思っています。人生最初で最後かもしれない地元開催の大会で、日本代表の活躍を伝える紙面や号外に携われるなんて、なんとも夢が膨らみます。

MY CAREER HISTORY私のキャリアヒストリー

2008 / 04

入社 東京本社 校閲センター [1年目]

 紙面制作のスピードにまったくついて行けず。机の上が紙だらけになったことをよく覚えています。

2011 / 03

同上 [3年目]

 東日本大震災。発生からしばらくは夜勤を終えた後、仮眠を取って翌朝からもう一仕事という日が続きました。

2011 / 08

同上 [4年目]

 初めて1面の校閲を担当。いわば新聞の「顔」である1面に傷を付けるわけにはいかないと、赤鉛筆を握る手が汗でびっしょりに。

2013 / 09

大阪本社 校閲センター [6年目]

 当時28歳は異動先でダントツの最年少。入社6年目にして新入社員に戻ったような感覚になりました。

2014 / 11

大阪本社 選挙本部 [7年目]

 選挙報道を取り仕切る部署へ。突然の衆院解散。ドタバタの中での準備作業でした。2015年の統一地方選と2016年の参院選も担当。

2015 / 07

結婚 [8年目]

 2年弱の遠距離恋愛をなんとか乗り越え、結婚。

2017 / 09

東京本社 校閲センター [10年目]

 4年ぶりに古巣へ復帰。現在は主に総合面(1~3面)の紙面校閲を担当。

入社動機

 大学でマス・コミュニケーション学を専攻していた関係で、取材した内容をまとめる冊子を作ったことがきっかけです。原稿の点検を引き受け、その楽しさを知りました。校閲職場は新聞社の他に出版社などにもありますが、実家で長く購読していた朝日新聞が自然と第1志望になりました。

オフの過ごし方

 校閲センターは朝刊作業がメインになるため、夜勤の多い職場です。帰りが遅く、奥さんの相手をしてあげられないこともしばしば。休みが合ったときは罪滅ぼしも兼ねて、彼女の「行きたい、したい」をかなえるべく予定を立てるのが、私の使命です。趣味はバスケットボール。NBAのシーズン中は興奮して眠れない日々が続きます。

みなさんへのメッセージ

 面接では、自分をもっとアピールしなきゃと気負う場面も多くなるかと思います。でも、会社側から見れば、面接は自分たちの隣で一緒に働く人を選ぶ場所。ですから、普段の自分を知ってもらうこともとても大切だと思います。私の就活時の目標は「面接官を3回笑わせる」。おじさんたちと楽しくおしゃべりする感覚で臨んでいました。当時の部長によると、「普通に話ができたから」が採用理由だったそうです。あまり背伸びをしすぎず、等身大の自分を見せていきましょう。頑張ってください。

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