保科 龍朗 (ほしな たつろう)
東京報道局 文化くらし報道部 1982年入社 |
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入社動機 |
父親はライバル紙の記者だったが、中学生の頃からの夢は小説家になること。新聞記者になることを意識し始めたのはようやく大学3年の頃で、米紙ワシントンポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインがウォーターゲート事件報道の真相を書いた「大統領の陰謀」や、同じくワシントンポストを中心に活躍したコラムニストのアート・バックウォルドの傑作選、そして朝日新聞で名文家とうたわれていた故・深代惇郎さんの「天声人語」を読んで感銘を受けてから。コラムニストになりたかった。父親とは違う新聞社を選んだのは、当時は一般紙各社の試験日が同じで重複受験できなかったことと、深代さんの「天声人語」の影響による。 |
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キャリア |
高松(3年)、奈良(2年)支局を経て大阪本社社会部(3年)へ。ここでは大阪府警捜査1課を担当し、発生後、まだ3年しか経っていなかったグリコ森永事件などを追う。その後、AERAへ。途中、東京社会部への異動などもはさんでAERAでは通算約7年を過ごす。そして、日曜版(3年)、be(2年)、週刊朝日(2年)を経て、再びbeへ。現在、beへ戻ってきて4年目。本人曰く「幸か不幸かデスクをやったことがない」というほど記者一筋でキャリアを積み重ねてきた。 |
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