延与 光貞 (えんよ みつさだ)
東京報道局 社会部 1996年入社 |
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| オリンピックを通して感じた、今の中国。 |
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| 北京オリンピックでは競技の取材は、とてもスムーズに終わりました。歓迎ムード一色で、私たち取材陣や観客にとって苦を感じることはまずありませんでした。しかし、その裏側にあったのは、チベット問題に絡むテロに対する国民の不安や、有無を言わせぬ強い規制に対する住民達の不満。国家の強さをアピールしようとする政府と国民とのぶつかり合いを、まざまざと見せつけられました。オリンピック直前に起きた四川大地震では、成都を経由して被災地へ。地震の被害が軽く、人々が裕福な都会生活を続ける成都に対し、村ごと壊滅し、もともとの質素な生活すら失ってしまった山奥の集落。それでも国を元気にしたいと、オリンピックの成功を祈る人々がいました。国家と国民、富と貧しさ、交錯する思いと思い。豪華で独創的な「鳥の巣」スタジアムの中でだけは混乱もなく平和の祭典が続いていた。それを見て、今のこのアンバランスな国をうまく象徴している建物だな、と感じたのを覚えています。 |
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| 「あれ?」と感じたら、そこにニュースの種がある。 |
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| もともと私が社会部を志望した理由は、人間臭い話が好きだったからです。就職活動の時はテレビの記者も考えましたが、映像では簡単に伝えることのできない、裏にある人の思いや感情を伝えていきたいと思って新聞社を選びました。中国の取材でも、私が追いかけたのは表からは見えないドラマ。例えば豪華で華やか、歓喜に包まれるオリンピック会場を離れれば、農民工が貧しい生活を送っている。そこに足を運んだ人なら、誰しも違和感を覚えたはずです。私たちの仕事は、素朴に「おかしいな」「面白いな」と思ったことを取材して伝える仕事。とくに、新聞の社会面は事件や事故だけでなく、スポーツでも政治でも生活でも、切り口次第で何でも記事になる場所です。普段街で見かけるすべてのことがテーマ。自分の視点、率直な感覚を大切にして、常に「プロのしろうと」であり続けたいと思っています。 |
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入社動機 |
高校時代に新聞記者の執筆した本を読むようになり、今まで知られてなかったことを伝えることで世の中を動かす面白そうな仕事だと思っていた。大学時代に、具体的に世の中に少しでも役に立つ仕事をしたいと思い、記者を選択した。 |
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キャリア |
津総局、一宮支局を経て、名古屋本社社会部で検察や裁判を担当。その後、東京社会部に。08年北京五輪を取材し、秋からは法務省を担当。裁判員制度などの記事を書いている。 |
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